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柳原前光(やなぎわらさきみつ)の墓

駐露公使をしていたことがあるのでロシアと無関係ではないが、日露関係に果たした役割は大きくない。
大正天皇の伯父で白蓮の父親として有名。柳原前光の妹の愛子(なるこ)は明治天皇の妾で大正天皇の生母。

墓所:東京都目黒区中目黒5-24-53 明顕山 祐天寺(浄土宗)


 万延元年遣米使節の正使を務めた旗本・新見豊前守正興は明治2年に病死し、残された娘たちのうち、次女・三女は奥津の養女となるも、東京都台東区柳橋に芸者として売られた。新見豊前守は美男の誉れ高かったが、次女・三女ともに、たいそうな美女だったそうだ。次女は吉原の顔役・飯島三之助に身請けされた。三女の「りょう」は、16歳のとき、女好きて名高い伊藤博文と柳原前光が争い、柳原前光が身請けした。柳原前光の妾となった「りょう」は18歳の時に白蓮(本名・Y子)を生むが、その後は病気がちになり21歳で死亡した。白蓮は大正天皇の従兄妹にあたる
 白蓮は15歳で北小路資武と結婚させられた。資武は粗暴な性格で、精神障害があったともいわれている。長男・功光が誕生するも、二人の結婚生活は破綻し、結婚5年後に離婚した。その後、北小路資武は詐欺・恐喝で逮捕されている。
 離婚した白蓮は実家に戻るも、ほとんど幽閉状態に置かれ、5年後に今度は炭鉱王・伊藤伝右衛門と結婚させられた。このとき、白蓮25歳、伝右衛門50歳。伝右衛門は炭鉱掘りから身を起こした無教養な文盲の男で、華族との婚姻はあまりにも不釣り合いだったため、売り物に出されたと新聞に書かれた。白蓮を結婚させた最初の相手は精神異常者、2度目は無教養の爺さんと、あまりにもひどい仕打ちだが、これは継母で伊達宗城次女・初子の恨みだったのだろうか。
 無教養の炭鉱夫との婚姻は10年で終了する。白蓮は社会活動家で弁護士の宮崎龍介と駆け落ちした。世にいう「白蓮事件」である。宮崎と結婚した白蓮は一男・一女をもうけるが、長男は戦死した。長女は華道家の宮崎蕗苳。1967年、白蓮は81歳で波乱にとんだ生涯を終えた。

 白蓮の墓は、神奈川県相模原市緑区寸沢嵐 石老山顕鏡寺。
 新見豊前守正興の墓は、東京都中野区上高田4-10-1 願正寺。
 興津りょうの墓は、東京都台東区谷中4-4-29  妙円寺。

 柳原前光の娘・白蓮の話はこれぐらいにして。

 柳原前光の正妻の子で長男の柳原義光は、1933年に男色相手の男に手切れ金を脅し取られる事件が発覚する。さらに、柳原義光の次女・吉井徳子は、同年、不良華族事件を起こす。これは、徳子が愛人のダンスホール主任の愛情を留め置くために、友人の有閑マダムを次々と姦通相手として彼に斡旋した事件だった。

 大正天皇の伯父・柳原前光を話題にすると、業績よりもセックススキャンダルの話になってしまう。

 柳原前光の墓は祐天寺の墓地の少し奥の方にある。祐天上人の墓の向いなので分かりやすい。大正天皇生母で明治天皇妾の柳原愛子の墓が隣にある。

柳原家の墓 墓碑 墓誌

正一位勲一等柳原愛子墓 柳原家の墓と柳原愛子の墓

祐天寺山門
祐天寺は地域に愛されているようです
祐天寺本堂 墓地は本堂左で道路を渡ったところ


最終更新 2019.7


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