領土問題参考書
日本の領土問題と海洋戦略―尖閣諸島、竹島、北方領土、沖ノ鳥島』 中内康夫 他/著 2013.1.25(朝陽会)
参議院外交防衛委員会調査室調査員を務める4氏による執筆。
本書の内容は、日本の領土問題に対する日本政府の立場の説明。対立国の主張も若干含まれている。領土問題では、事実と、日本政府の主張、対立国政府の主張があるが、本書では、それらが明確になるように記載されており、日本政府の主張と根拠が容易に理解できるようになっている。
日本の領土問題に対する日本政府の説明は、政府発行の無料パンフレット等で容易に知ることが出来る。本書も、その域を出ているわけではないが、事実と日本政府の主張を区別して理解できるように書かれており、日本の主張を理解するうえで参考になる。ただし、事実の中で、日本に都合の悪いことは、あまり書かれていないので、この本を読んだだけでは、正しい事実認識は得られないだろう。
日本政府の見解であるので、記述内容には一定の限界がある。
P20に尖閣を「中国・台湾も以前は日本領と認めていた」との項があり、その根拠として、以下の3つをあげている。
@1920年の中華民国駐長崎領事からの感謝状に「日本帝国沖縄県・・・尖閣列島」とある
A1953年の人民日報に「琉球諸島における人々の米国占領反対の戦い」に尖閣が含まれている
B1960年発行中国地図には尖閣が沖縄に含まれている
この記述だけを読むと、日本の主張に問題なさそうに感じるだろう。しかし、@については、この時代は、台湾が日本領だったので、尖閣は日本であることは明らか。また、日本の行政区域では沖縄の管轄なので、このように記載するのは当然だ。
Aについては、ちょっといただけない。この時期に日本の文部省検定済み教科書には、沖縄と日本の間に国境線が書かれ、沖縄にはアメリカ信託統治領であることを示す[ア信]の表示があるものもある。尖閣が日本の言うアメリカ信託統治領であったことを示しているに過ぎない。
Bは最悪。日本の文部省検定済み教科書には北方領土がソ連領になっているものなど珍しくない。
竹島の記述にも疑問がある。P38に以下の記述があるが、これで良いのだろうか。
鳥取藩の町人が幕府から鬱稜島への渡航免許を受け、鬱稜島で漁猟に従事しており、その際、途中の船がかりやアワビの漁採の好地として利用されていた。これにより、日本は遅くとも江戸時代初期に当たる17世紀半ばには、竹島の領有権を確立していた。
この記述は、外務省のパンフレットの引用なので、これ自体問題はないのだが、それでは、途中の船がかりや漁場として利用されていたならば、領有権が確立されていたと言えるかとの問題が起こる。尖閣は、中世において、清国が標識島として使っていたことは明らかだが、これに対して、日本政府は、国際法上有効に領有していたものではないと主張している。中世の日本の竹島利用と、清国の尖閣利用にはどれほどの違いがあったのだろうか。日本政府内で、竹島・尖閣・北方領土対応部署が違うから、それぞれの論拠に整合性が取れていないのではないだろうか。
北方領土については、事実を淡々と書いているようで、その点は好感が持てる。
たとえば、P68には、サンフランシスコ条約締結国会では、条約で放棄した千島列島に択捉島・国後島の、いずれも含まれるとの解釈が示されていた事実が、書かれている。
また、P71には、1956年の日ソ国交回復のときに、領土問題が解決しなかった理由として、米国の圧力があった旨、記載されている。
重光外相はロンドンにおいてダレス米国務長官と会談し、交渉経過を説明したが、その際、ダレス長官から、日本がソ連の2島返還案を受諾した場合には、当時米国の統治下にあった沖縄を日本には返還しないとの圧力があったとされている。
ただし、多くは、日本に都合の良い事実のため、北方領土問題全体の理解には制限はある。