本土の反基地闘争
現在、在日米軍基地は、沖縄に集中しているが、かつてはそうではなかった。進駐軍が日本を占領すると、主に旧日本軍基地を米軍基地として使用したため、本土に米軍基地の多くが置かれた。朝鮮戦争に伴って、米軍基地の拡大が必要となると、新たな基地用地の提供が求められるなど、米軍基地の拡大が図られたが、各地で強い反対にあった。長野県軽井沢町から群馬県松井田町の浅間妙義演習地反対闘争などは、住民らの抵抗で基地化をまぬがれた。
群馬県安中市松井田町西野牧字恩賀には「妙義米軍基地反対闘争勝利記念碑」が建てられている。
浅間から妙義に至る山岳地帯の米軍山岳戦演翌地が撤回された理由は、浅間の地震観測に支障があるので日本の地震研究者や欧米の地震研究者の反対があったことであると報道された。
同時期、石川県内灘村の射爆場は地元の強い反対にもかかわらず、射爆訓練が行われた。しかし、4年後には米軍が撤退することで接収解除となった。
このように、米軍基地の撤退の表向きの理由が住民の反対運動とされることは少なく、別な理由付けがなされる。
昭和28年(1953年)7月16日(木)朝日新聞(夕刊 3面)
浅問山使用取りやめ
日米合同委で決定 一般登山者も制限
山岳戦演翌地として浅間山を健用する問題については、外務省としては既報の通り地震研究に支障があるという理由で使用を拒否する方針をとり、米軍側と折衝していたが、十六日午前外務省で開かれた日米合同委員会で日本側代表伊関外務省国際協力局長と米軍側代表ハンロン海軍少将との間で円満に話し合いがつき、浅間山を使用しないことに決定同十一時半次のような外務省発表を行った。
なお妙義山についてはいぜんとして仕様の方針で、伊関局長は「もう一度地元に出かけてまでも納得してもらうように努刀する」と語った。
外務省発表 去る一二月米軍から山岳戦訓練用地として提供を要認された浅閲山の一部地区については東大地震研究所による地震研究に支障を及ぼすかどうかという点が決定的な問題となったので、去る五月十四目米関係者による実地試験を行い、これにもとついて五回にわたる日米専門家会議を行い検討の結果、米軍の要望する最小限度の訓練も地震研究に支障を及ぼすことが確実となったので、今
日の日米合同委員会で右地区を使用しないことに決定をみた。なお本研究所は日本のみならず世界的に重要な研究を行うもので、これに対する支障を極力減少するため今後は一股登山客に対しても関係機関によりて制限の処置がとられるはずである。
昭和28年(1953年)5月28日(木)朝日新聞(7面)
浅間米軍演習地問題に反響 欧米学界が反対支持
日本地震学会に激励文
浅間山ふもとの来軍演習地問題について、東大地震研究所をはじめ地元の群馬では二十七日に県民大会、長野では県議会を開き決議するなど猛烈な反対運動を起きているが、同山全部が好個の研究対象なので、この全山研究室を死守するわが地震学会の動きに全世界の学界も呼応し、欧米各地の大学、研究所から日本地震学会あてにぞくぞくと激励の手紙が寄せられている。
ナチを迫われてアヌリカに亡命した世界地震学会の元老、カリフォルニア大学グーテンペルグ博士をはじめイタリアのローマ国立地球物理学研究所長カロイ博士、スイス地震観測所長ヴァンネス博士らからの数十通の手紙は浅間山火山観測所の研究を妨げる米軍演習に対して強く反対と日本学会の奮起を訴えている。ことにグー
テンペルグ傳士からはすでに三通も届けられ、その中には『浅間が米軍の軍事目的による演習場となり、これによつて浅間観測所の研究が不可能になることに対して反対する。どんな影響ガあるか知らせてほしい』と非常な関心を示したもので、またヴァンネス博士などは米軍の演習は学問の侵害であり、日本地震学会の抗議を全面的に指示すると激励している。
東大地震研究所衣博士の話 現地テストの結果、地震計など各種の観測器は一`から二`離れた地点を人が通るだけでも研究に重大な支障を来すことが明らかになっている。米軍から演習条件について1週間1度便用するとか、いろいろ緩和条件の申入れを受けているが、研究が妨げられるという学問上の立場からいって、演習地使用禁止か、さもなくば研究中止の二つしか道はないわけけだ。世界の学界のためにも浅間を守るために、米軍に対し絶対反対を申入れている。
朝日新聞 昭和30年1月20日(夕刊)3面
反対派の妨害排除 妙義演習地の強制測量
[前橋発]群馬県妙義山米軍演習地は一部地元民の反対で実現が遅れているが、東京調達局は反対派の土地を強制収用する方針を決め、二十日朝九時半ごろから用地の測量を強行した。反対派十七戸は妙義基地反対共闘委や日共県委員会の応援で現地=碓氷郡松井田町恩賀=の入口にピケをはり測量班一行を妨害しているため、県警察本部から機動隊員一個小隊(三十三人)が派遣され、同十時四十分警官隊が実力で妨害を排除、測測を始めた。
反対派は前夜から同地区反対派農家三軒に分宿していた日共党員二十人、高崎地協労組員八人をはじめ、労働者を加えて約百人で、あくまで測景を妨害するといっていた。現地は約八万坪で測量は一週間かかる予定。
内灘射爆場強制実施関連の新聞記事
朝日新聞 1953.6.11朝刊
朝日新聞 1953.6.15夕刊
最終更新 2018.8
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