尖閣諸島問題

最終更新 2022.2


1.尖閣諸島概要
   意外に少ない原油埋蔵量
   江戸時代の尖閣関連地図

    

2.尖閣問題に関連した琉球の歴史 (作成中)
 2.1 冊封と閩人三十六姓
 2.2 薩摩藩による琉球「闇」支配
 2.3 琉球処分と尖閣領有
 2.4 尖閣の開発
 2.5 米国の沖縄統治
 2.6 琉球返還と琉球独立運動
     在日米軍基地


3.尖閣の話題

3.1 尖閣に対する日本の関心(戦後、1970年以前)
 戦前から1970年代まで、尖閣は台湾漁民の漁場であり、彼等の既得権状態だった。中国の尖閣への関心は、台湾問題と密接に関係している。これに対して、近年の日本の尖閣への関心は、もっぱら、石油資源にあった。ここでは、1970年4月15日以前に、国会で尖閣が取り上げられた質疑応答を記載する

3.2 中国の尖閣主張が、1970年ごろ以降である理由

3.3 尖閣にソテツはない
    ソテツの解説

3.4 尖閣諸島の所有者
 古賀→栗原→日本政府 と所有者が変わる

3.5 日中漁業協定
 近年、数百隻の中国漁船が尖閣周辺の排他的経済水域内で操業することがある。多くは日中漁業協定に従っている。

3.6 尖閣の固有植物
 尖閣の動植物はタイワン・中国に近いが、固有植物もある。指定暴力団住吉会系右翼団体が放置したヤギの食害で、一部植物は絶滅した可能性がある。

3.7 尖閣問題で感じ悪いこと
 尖閣問題を調べていると、暴力団・いかがわしい新興宗教・犯罪国会議員と、胡散臭いのがウヨウヨ出てきて、感じが悪い。
   (1) 右翼団体・日本青年社による尖閣自然破壊
   (2) 尖閣所有者と新興宗教
   (3) 西村真悟代議士
   (4) セクハラ 鈴木章浩・東京都議会議員
   (5) 教科書選定に対する「謂れのない圧力」


4.その他

4.1 台湾はいつから中国の領土か?
 元医療官僚・原田禹雄/著 『尖閣諸島 冊封琉球使録を読む』は、歴史学者・井上清説を、罵倒しているような本だ。このなかで、元官僚は『台湾が、明代に中国固有の領土であることを私は認めない』と書いている。このような尊大傲慢な記述に反応するのもバカバカしいことだが、台湾がいつから中国の領土であるのか、いくつかの見解をまとめた。また、永暦通宝の写真を掲載した。

4.2 界
 2012年7月17日、産経新聞一面に、「明の上奏文に『尖閣は琉球』と明記」と題する記事が記載された。1561年に琉球へ派遣された使節、郭汝霖が皇帝に提出した上奏文に「渉琉球境界地名赤嶼」とあるが、これは、赤嶼が琉球に含まれるとの主張が産経新聞でなされている。独断・強引な詭弁に感じる。



領土・主権展示館   内閣官房の竹島・尖閣問題啓発展示室


やさしい尖閣諸島問題のはなし
 


 参考書
 


記念切手



 左の切手は、沖縄返還直前に、琉球政府が発行した海洋シリーズ第三集の記念切手(画像をクリックすると拡大します)。
 描かれている鳥は、アホウドリで、尖閣列島・南小島に生息する様子を想像して描いたものだとか。

 沖縄が日本に返還されそうになると、台湾や中国が尖閣の領有権を主張するようになる。これに対して、琉球政府は返還直前のどさくさにまぎれて、尖閣切手を発行することを計画。しかし、下心がバレてしまっては、外交交渉にも影響するため、このような策謀を米軍が見逃すわけはないので、隠密裏に尖閣切手を発行した。
 この切手のタイトルは「海と海鳥と島」で、島名や鳥名は不明だ。この時期、琉球は尖閣アホウドリの詳細を知らなかったので、博物館にあった南半球のアホウドリの剥製を使って図案を作ったとのことだ。

<尖閣のアホウドリ>
 尖閣諸島を日本が領有する以前は、アホウドリが繁殖していた。
 日清戦争の勝利が確定的となると、日本政府は1895年1月14付で、尖閣の領有を隠密裏に閣議決定した。下関条約で台湾などの割譲を受けた後の1896年9月、沖縄県は古賀辰四郎に島を30年間無償貸与した。古賀は1897年より出稼人35名を派遣し、アホウドリの羽毛を採取した。4~5年間で、105万羽余りを乱獲したと思われ、1900年ごろからは、アホウドリを見ることはなくなった。1950年、1952年に琉球大学調査団が島を訪れたときは、アホウドリを発見することができなかったため、すでに絶滅したと思われていたが、1971年に琉球大学の調査で、南小島に12羽の成鳥を発見した。
 


参考

尖閣列島の領有権に対するアメリカの見解を「遺憾」とした福田赳夫外務大臣の見解、等。

昭和47年3月21日 参議院外務委員会

福田赳夫外務大臣 
 アメリカが尖閣列島に対する態度、これは一九七〇年――一昨年のときまでは非常にまぎれのない態度をとっておったのです。ところが、昨年の中ごろになりまして、これはまあ今度の沖繩返還協定で、まあ施政権を施行しておった地域に入る尖閣列島ではあるが、他の第三国から何かもんちゃくがあれば、それは日本国とその第三国との間の問題であると、こういうことを言いだしておりまして、私どもは、そのアメリカの態度に対しましては、はなはだこれは遺憾とするわけであります。(以下省略)


昭和47年3月28日 衆議院予算委員会

佐藤内閣総理大臣 
 (以上省略)マイヤー大使が私のところへあいさつに見えて――これは離任のあいさつですが、その際に、どうもアメリカ側の態度は不明確じゃないか、沖繩返還に際しての緯度、経度で返還さるべき区域をはっきり明確に示してくれた、これはもうわれわれ非常に感謝しているんだ、当時から尖閣列島の無人島であるだけに、これが問題にならないようにと思って緯度、経度で返さるべき地域を示したはずなんだ。ところが何だかアメリカはこれについて、返すだけは返した、それから先は日本あるいは中国の問題だ、両国で話し合いすればいいじゃないかというような態度をとっている、これはいかにも解せないことだ、こういう話を実はいたしました。そのとおりが新聞に報道された、これが事実であります。
 したがってただいま外務大臣が申しますように、私どもはいまだかつてどこからも文句をつけられた地域でないだけに、日本の固有の領土である、これを主張する。またアメリカはここを沖繩に施政権を持っておる際に、沖繩と一緒に射爆場と申しますか演習地地帯にしてこれを利用している、こういうこともございますから、そうして今度沖繩が祖国復帰に際しては、その施政権のあった範囲は全部日本に返しました、こういう表現をしておるのでありますから、もちろんアメリカ自身も日本に返したものだ、日本に返す以上、これは日本の領土であるということを積極的に示すべきだと私は思います。塚本君がいま指摘されるのもそういう点だと思います。私はこういうことこそ望ましいことである。両国の関係を、別にこれを言わないことが両国の親善関係を続けるゆえんであろうとは思いません。はっきりすることこそ、そのことが両国の親善友好関係を一そう深めるゆえんだ、かように私は思っておりますから、アメリカがそういう態度をとってほしいと思います。(以下省略)



佐渡 尖閣湾



「尖閣」の名前が付く地名は、尖閣諸島の他に、佐渡の尖閣湾がある。写真は絵葉書。


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