大学入試・日本史に出題される閔妃暗殺事件




 日清戦争で勝利した日本は、朝鮮への内政介入を強めてゆく。これに対抗して、朝鮮はロシアの影響力を利用して日本を排除しようとした。日本公使三浦梧楼らは、親ロシア派の中心と目した王妃(閔妃)殺害を計画し、日本軍守備隊、日本警察官、訓練隊(日本軍将校に指導された朝鮮軍隊)、日本人新聞記者、日本人壮士らを動員し、王妃殺害を実行した。

 『閔妃殺害事件』の辞典などでの説明はここをクリック


上位大学入学試験


 大学入試問題日本史にも閔妃殺害事件はときどき出題される。この事件は、山川出版・詳説日本史の欄外に記載されているので、上位大学の日本史を受験する場合は、日本が王妃を殺害した結果、韓国がロシアへ接近したという歴史の流れに加えて、実行犯の首謀者「三浦梧桜」の名前を覚えておいたほうが良いだろう。

2006年 京都大学・日本史入試問題
 問題の一部:下の(セ)に最も適当な語句を記入せよ。
 1894年、甲午農民戦争に介入した清と日本が開戦し、勝利した日本が朝鮮内政への干渉を強めると、政府内部では王妃を中心に、ロシアに接近して日本を牽制しようとする動きが生じた。これを敵視した日本公使の(セ)らは、1895年、王妃殺害を計画し、実行した。

 解説:閔妃事件で、朝鮮王妃殺害実行の主犯者氏名を問うもので、正解は三浦梧桜。
2006年 大阪大学・日本史入試問題
 問題:韓国併合にいたる、近代の日朝(韓)関係の歴史について述べなさい。(250字程度)
 解説:この問題は、記述式なので、三浦梧桜の名前など細かい知識は必要ない。日本が王妃を殺害したため、韓国がロシアへ接近したという歴史の流れを知っておく必要がある。
2015年 慶応大学文学部・日本史入試問題
 問題:次の文章の空欄(A〜I)に該当する適当な語句を記入しなさい。
(前半省略)
 日本は(D)条約によって領有した台湾に台湾総督府を置き、(F)を初代台湾総督に任命した。当初は強い抵抗を受けたが、1898年に台湾総督児玉源太郎と民政局長(G)が就任して旧慣尊重を基本とする方針に転換すると、円滑な統治が可能になった。翌年、中国進出に後れをとったアメリカ合衆国は国務長官(H)が中国に対する機会均等・門戸開放を列強に通告した。朝鮮では、新任の日本公使(I)らが軍人などを王宮に乱入させて反日的政策を主導する閔妃らを殺害させた。これによって、朝鮮政府はロシアに接近していく。

 解答  D:下関 F:樺山資紀 G:後藤新平 H:ジョン・ヘイ  I:三浦梧桜

大学入試センター試験


 大学入試センター試験・日本史でも閔妃暗殺事件関連が出題されることがあるので、ある程度のレベル以上の大学を目指す受験生は、日本公使らが朝鮮王妃を殺したことと、関連する歴史の流れは覚えておくと良いだろう。上位大学を除いて、細かい年号や三浦梧桜の名前までは必要ないかもしれない。
2011年 大学入試センター試験 日本史A  第4問_問4B (図が描きにくいので、題意を変えない範囲で改題した)
 問題 1890年代の東アジアの状況について述べた文として、以下の記述は正しいか誤りかを答えよ
 B朝鮮に駐在する日本の公使らは、ロシアに接近していた王妃の閔妃を殺害した。

教科書などの記述

日本書籍新社 わたしたちの中学社会 
  平成17年3月30日 文部科学省検定済 平成18年1月25日 発行

朝鮮では、日本公使らが朝鮮の皇后を暗殺したが、日本よりの政権をつくることには失敗した。(P159)




山川出版社 詳説日本史 B 
  2012年3月27日 文部科学省検定済 2013年3月5日 発行

日清戦争開戦の直接のきっかけとなった日本軍の王宮占拠で成立した大院君の親日政権は、三国干渉後、まもなく閔妃らの親露派に倒された。日本の公使三浦梧楼は大院君を再び擁立しようと公使館守備兵に王宮を占拠させ、閔妃殺害事件をおこした。王妃を殺害された国王高宗はロシア公館に逃れ、親露政権が成立した。(p294)



山川出版社 新詳説日本史 教授資料(いわゆる教師用教科書)
  1992年4月10日発行

ロシアの南下策 1891年、ウラジヴォストークからシベリア鉄道建設に着手したロシアは、満韓進出に強い意欲を見せた。1895(明治28)年10月、日本が朝鮮公使三浦梧楼の指揮のもとに閔妃を暗殺し、大院君政府をつくらせると、翌年2月、高宗はロシア公使館ね逃れ(露館播遷)、これにより親露政権ができることになった。(P532)




NHK通信高校講座日本史(監修:お茶の水女子大学大学院教授・小風秀雅)
  http://www.nhk.or.jp/kokokoza/tv/nihonshi/archive/resume032.html (2015.7.10閲覧)

 日清戦争後の下関条約によって、清は朝鮮の自主独立を認めていました。
 その後、三国干渉により朝鮮半島での日本の勢力は後退します。そして朝鮮の親日派政権は倒され、ロシア寄りの政権が誕生します。
 1895年、日本の公使や軍人が朝鮮の王宮を襲い、王の妃でロシア寄りの勢力の中心だった閔妃(みんぴ)を殺害するという事件が起こります。この結果、反日の世論が朝鮮で強まり、さらにロシアとの軋轢も高まっていきました。




詳説世界史研究(山川出版社)
 2008年1月30日発行

 世界史教科書では閔妃殺害事件が掲載されていないことも多い。ただし、学習参考書・詳説世界史研究には閔妃の説明の中に暗殺の事実が記載されている。

 朝鮮王朝第26第王高宗の妃であった閔妃は、1873年に実力者大院君を失脚させて政権を奪取してより、再起を策す大院君や圧力を増す外国勢力を相手に、20年にわたってしたたかに戦いつづけた。閔妃は国内の反対勢力に過酷な弾圧を加える一方、対外的には、日本→清国→ロシアと提携の相手をつぎつぎにかえて朝鮮の存立をはかったが、最後は日本公使の策謀により、王宮に乱入した日本人によって暗殺された。(P420)


竹島(独島)問題と日露の関係    『閔妃殺害事件』の辞典などでの説明  竹島問題