北方領土問題参考書



山本和重/編 『北の軍隊と軍都: 北海道・東北 (地域のなかの軍隊 1)』吉川弘文館 (2015/2)



 本の前半では、3か所の軍都(仙台・旭川・弘前)に対して、地域と軍(師団)の関係を時代を追って解説。これまで都市の発展と軍の関係を論じた本は少ないので、こういった分野に関心のある人には、参考になるだろう。

 本の後半は、北海道における徴兵の実態、アイヌの徴兵について 等。

 北海道で徴兵制が施行されたときから、制度上、アイヌを特別扱いしていたわけではないが、実際には、徴収に便宜を図られたと思われる事実もあり、また、軍隊内部では、好奇の目で見られたこともあった。一方で、アイヌの軍功に対して勲章が贈られるなどを通して、アイヌの日本人への同化に、一定の役割をもった。




高木崇世芝/著『近世日本の北方図研究』 北海道出版企画センター (2011/11)


 江戸時代から明治初期にかけて日本で作られた北海道・樺太・千島の地図(北方図)の変遷を記述したもの。

 北方図の変遷を解説ものとして、すでに、いくつかの本が出版されている。
 本書は、これらに比べて、取り上げている地図の数が多く、解説も専門的で詳細。ただし、地図のコピーはあまり多くはなく、見やすくないものが多いので、本書は初学者には適当ではないかもしれない。

 本書では、「江戸初期から天明までの前期」「天明から文政までの中期」「文政から明治までの後期」に時代を区分する。前期の北方図では、千島は北海道東部に小さい島々が固まって描かれるのに対して、中期以降は列島状に描かれるようになる。最上徳内の択捉島探検で、ロシア人から千島列島の知識を得たことや、ラックスマン来航によりロシアの地図を入手したことが、北方地理を正確に認識する上で、決定的な影響をしていることが分かる。
 ただし、本書は、日本で作られた地図のみを対象としているため、ロシアの地理を、日本人がどのように学び、まねたのか理解しにくい。この点については、他書を読む必要があるだろう。




瀬川拓郎/著 『アイヌ学入門 (講談社現代新書)』(2015/2)


 
 アイヌとはどのような人たちなのかを、幾つかのテーマによって説明。序章を除いて、各章には特に関連はないので、どこから読んでもいいと思う。北海道アイヌのほか、樺太アイヌや北千島アイヌ(コロボックル)にも触れられている。
 
序章 アイヌはどのような人々か
第一章 縄文 一万年の伝統を引く
第二章 交易 沈黙交易とエスニシティ
第三章 伝説 古代ローマからアイヌへ
第四章 呪術 行進する人々と陰陽道
第五章 疫病 アイヌの疱瘡神と蘇民将来
第六章 祭祀 狩猟民と山の神の農耕儀礼
第七章 黄金 アイヌは黄金の民だったのか
第八章 現代 アイヌとして生きる






平山裕人/著 『アイヌの歴史―日本の先住民族を理解するための160話』明石書店 (2014/5)


本書は第一編と第二編に分かれる。第一編はアイヌ史を学習する上で必要な「歴史観」や「アイヌとは何か」などの問題に対する言及。第二編がアイヌ史。

第二編のアイヌ史が本書のメインで、内容は、アイヌの通史。日本史は中学校・高等学校で習うけれど、アイヌ史にはほとんど触れられることはない。アイヌ史のなかから幾つかのトピックを選んで、解説する本はあるが、通史となるとなかなかないので、本書は貴重だ。アイヌ史についてある程度知っている人も、知識の整理のために、本書を読む価値はあると思う。

ただし、日本史の学校教科書をアイヌ史の立場で書いたような感じがして、ちょっと面白くなかった。



土本典昭/著 『されど海 存亡のオホーツク』 影書房 (1995/08)


 1990年代になるとこれまで日本人の入域が厳しく規制されていた北方領土に、日本人ジャーナリスト・旅行者が立ちれるようになる。このため、1990年代前半には北方領土取材報告が多数出版された。これらの本では、北方領土の現実の姿の一端を知ることができる。ただし、取材は、日本への報道を目的としたものであるため、日本人に好まれるような取材が多い。これらの本は基本的には取材報告であるが、北方領土の歴史の解説も、まじめなものが多い。 
 本書は、映画監督・土本典昭による、日ロ合作映画の作成を目的とした、北方領土や沿海州地域の取材記。

 興味を持った記述があったので書きとめておく。
日ロ"勝手交流"
 その後、間もなく"ビザなし"交流を額面通りに受けとり、堂々と国境を越えた"事件"があった。
 朝日新聞通信部の小泉記者はこの"勝手交流"に確信犯としての行為を見ているようだ。
 事件の出だしは単純だった。色丹出身のSさんは当局に無断で色丹島に自分の持ち船を走らせた。
 三歳の時に島を出たSさんは墓参を通じて、色丹島のロシア人島民の有力者と知り合い、島で出来る事業を考えていた。だが、腎臓病の彼自身は定期的に人工透析に通う身で、墓参団やビザなし交流のスケジュールに合わせられない。そこで彼は息子に「あなたらといっしょに島にホテルを建てよう」とのメッセージを託して色丹島に行かせた。漁民感覚では色丹島は近い。色丹島側では何の咎めもなく漁船を帰した。根室に戻ってのち、道当局から摘発された。
 確信犯かどうか、それは行政の措置如何に掛かってくる。何の規則で罰せられるかだ。
 「Sさんが色丹島水域に漁をしに行ったのなら罰則・海面漁業調整規則違反が適用できる。だが、色丹島に知人に会いに行っただけだ。色丹島は本来"日本固有の領土"で外国ではない。その日本領土に行ったのだから"密出国"には該当しない」。
 Sさんがそこまで読んで、事を運んだのかどうかは問題でなくなる。これにどう裁きをつけるか。
 小泉記者は根室海上保安庁にも聞いた。「その海域を航行しただけではせいぜい"無通告航行"の規則無視で、軽犯罪程度にしかならない」。これは"くい違い行政"といえる。ロシア側に逮捕されれば外務省の対ロ折衝に移される。ここでは「日本は国境の線引きを本来認めていない」と身柄釈放手続きがとられる。密漁者のだ捕の場合はこれで処理し、釈放後、国内法で処置する。Sさんの所属漁協では"十日間操業停止"にするくらいが通例だった。このSさんの例は行政の盲点をついた前例のない事犯になったと小泉記者はいう。
(箭波光雄理事長がやめた理由)
それにしても、なぜ辞められたんですか?やはりヤクザ問題ですか?
「一言、日ロ島民対話集会でかれに発言させたことで議長である私は退かざるを得ない結果になりました。その人だって、暴力団かヤクザか知らんが、その前に元島民のひとりとして連盟の会員にもなっていた。私は彼がビザなし訪問団で向こうの島に行ったり、"交流会(懇親会)"に出ることは阻止したけれども、対話集会の中で、一言島のことについて訊きたいといったことについて私は許した。"島のコンブの利用の道"という誰でも考えることです。それが政争の具に供されて困ったことになった。それだけです。もう理事長は辞めたのですから何もいいません」。
 私の失礼な詮索はここで終わった。あとはいいたい放題の言葉が遊んだ。数言をとどめておこう。
(アイヌ)
元島民からアイヌを北方四島の先住民として語られたことはなかった。箭波光雄氏はテレビ番組のなかでそのことを問われたが"アイヌはすでに日本人になっている"とこたえ、まともな返答になっていなかったと記憶している。(P56)
(日本帰還に対する元島民の証言)
 二年たっても日本から何の連絡も来ない。食糧も送ってこない、これは困ったと思っていた頃に、ソ連から『日本に帰す、これは強制でないから残りたいものは残って良いが、しかし残るものはソ連の国籍を取れ』といわれたんです。仕方がない、とりあえず一旦は帰ろうということで、昭和二十二年の秋に、全員ソ連の船で樺太を経由して帰ってきました。(P73)


佐々木史郎/著『北方から来た交易民 絹と毛皮とサンタン人』NHKブックス(1996/6)

  

 江戸時代、アムール川流域に住む人たちを「山丹人」と言い、樺太アイヌを介しての彼らとの交易を「山丹交易」と言った。本書は、いわゆる山丹人の人々、明との関係、ロシアとの関係、清との関係、樺太アイヌを介しての日本との関係など、山丹人の民族誌。このほか、樺太アイヌにも触れられている。
 博物館には、山丹服と言われる江戸時代に伝わった満州服が展示されていることがあるが、この、山丹服が、山丹交易によってもたらされたものの一つである。山丹服を見る機会は少なくないが、山丹交易について書かれた本は少ない。本書はNHKブックスの性格上、一般読者を対象としたものであるため、出典などは詳しくはないが、山丹人について詳細な状況が示されるなど、内容は深い。文明開化前の北方諸民族について、ややもすれば、未開で遅れた原始人であったかのようなイメージが持たれるが、そのような誤った認識は本書で一掃される。

著者は、間宮林蔵の著書を随所で参考にしている。間宮林蔵と言えば、間宮海峡の発見者として有名であるが、著者は、この件に関しては、否定的。
「樺太調査に関しては、彼と共に調査に従事した松田伝十郎のほうがより大きな業績を残している。樺太と大陸の間の海峡を確認した最初の日本人は伝十郎の方であ る。(P25)」「林蔵の海峡発見は実は伝十郎に案内されたもの(P25)」」




孫崎享/著『日米開戦の正体―なぜ真珠湾攻撃という道を歩んだのか』祥伝社 (2015/5)




 1941年12月8日、日本は真珠湾を攻撃し、日米戦争が始まった。日本には、アメリカ首都を占領し、アメリカを占領統治する計画はなかった。ちょっと叩けば、アメリカ国民に厭戦気分が生じて、降参すると思ったとしても、アメリカ国民に厭戦気分を作り出すためのアメリカ世論工作をする気もなかった。負けるために戦争をしたわけではないだろうに、いかなる理由で、無謀な開戦に突き進んだのか。
 本書は、綿密な資料分析を元に、日米開戦に至った経緯を明らかにしている。
 Amazonをみると、いろいろと詳しいレビューがあり、いまさら私が感想を書くまでもないように感じるので、目次のみ書き留めておく。

序章:なぜ今、真珠湾への道を振り返るのか
第1章:真珠湾攻撃を始めたかったのは、誰なのか?
第2章:真珠湾攻撃への一五九日間
第3章:真珠湾への道は日露戦争での“勝利”から始まっています
第4章:進みはじめた真珠湾への道―日露戦争後から柳条湖事件直前まで
第5章:日本軍、中国への軍事介入を始める
第6章:日中戦争突入、三国同盟、そして米国との対決へ
第7章:米国の対日政策
第8章:真珠湾への道に反対を唱えていた人たち
第九章:人々は真珠湾攻撃の道に何を学び、何を問題点と見たのか
第十章:暗殺があり、謀略があった




馬場脩/著『樺太・千島考古・民族誌 1』 北海道出版企画センター(北方歴史文化叢書)(1979/3)




 馬場脩は、明治末から昭和初期にかけて、千島や樺太などで考古学調査を行い、北方地域の考古学研究の先鞭をつけた研究者。
 本書は、馬場脩の幾つかの論文をまとめたもの。この中に、北千島・占守島の3回にわたる発掘調査の記録がある。

目次とページを記す。

異例の石器時代遺跡函館住吉遺跡に就いて   7
北千島占守島に於ける考古学的調査報告    33
北千島占守島の第二回考古学的調査報告    67
第三回北千島占守島の竪穴発掘       109
アイヌの土鍋に就いて           114
占守島の最近の竪穴と今次の発掘      120
北千島樺太の考古学的調査         131
日本北端地域のアイヌと煙草        135
千島に於けるアリュート族         148
樺太アイヌの穴居家屋           182
占守島及川第十号竪穴出土の繊維性遺物   199


樺太アイヌ史研究会/編『対雁の碑―樺太アイヌ強制移住の歴史』北海道出版企画センター (1992/10)


 樺太千島交換条約で樺太全島がロシア領になると、これまで南樺太に居住していたカラフトアイヌは国籍を選択する必要が生じた。日本国籍を取得したカラフトアイヌは樺太に滞在することができなかった。日本人は樺太に滞在しても問題なかったのだから、明らかな差別待遇だった。
 日本人に雇われていた等の理由で、日本国籍をとったカラフトアイヌは、樺太に近い宗谷に移住した。しかし、日本政府は、彼等を対雁へ移住させ、農業に従事させた。しかし漁撈を生業とする彼等には、農業になじめず、さらに疫病も重なって、大きく人口を減らすことになった。
 ロシア国籍を取得して樺太に止まったカラフトアイヌたちは、比較的恵まれた生活だったので(本書P233〜P237)、日露戦争で南樺太が日本に割譲されると、ほとんどすべてもカラフトアイヌたちは樺太に戻っていった。

 本書は、日本に移住させられたカラフトアイヌの軌跡を追っている。カラフトアイヌについて書かれた本は少ないので、貴重な本だ。
 なお、江別市対雁の「やすらぎ苑」には、カラフトアイヌの墓が立てられている。
http://cccpcamera.asablo.jp/blog/2014/10/04/7450042


椙田光明/著『北方古代文化の邂逅・カリカリウス遺跡』(2014/12)新泉社

 
 カリカリウス遺跡は、北海道東部の標津町の伊茶仁川の流域に広がる遺跡で、ポー川史跡自然公園として整備されている。歴史民俗資料館には出土品が多数展示されており、また、竪穴式住居の復元家屋も展示されている。
 本書の内容は、カリカリウス遺跡発掘のようすと遺跡の説明、および、オホーツク文化・トビニタイ文化・擦文文化の説明。 
 カリカリウス遺跡はオホーツク文化末期からトビニタイ文化へ至る時代のものだが、ここは、擦文文化と出会った地だった。
 
 本書は、写真が多く、ページ数も100ページに満たないので、北海道独自の文化の概要を簡単に知るために便利。



菊池徹夫・宇田川洋/編『オホーツク海沿岸の遺跡とアイヌ文化』北海道出版企画センター(2014.7)

 

 縄文時代の後、本州では、稲作文化を主体とした弥生文化が起こるが、北海道では続縄文文化・擦文文化・アイヌ文化と本州とは異なった文化が展開した。さらに、オホーツク海沿岸では、続縄文以降、独自のオホーツク文化が起こっている。
 
 本書は、標津町から枝幸町にいたるオホーツク海沿岸地域の遺跡の発見・発掘・史跡としての指定の経緯を解説した後、各遺跡の詳細を記述している。モヨロ、常呂、カリカリウス周辺が記述の中心。このほかに、根室半島のチャシ群の話もある。また、根室のコタンケシ遺跡、宗谷のオンコロマナイ遺跡にも触れられているが、これらの記述は少ない。
 私は、考古学そのものに特に興味があるわけではないので、内容が細かすぎて、あまり興味が持てなかった。


海保洋子/著『近代北方史 アイヌ民族と女性と』 (1992/6)三一書房

 

 本の前半は近代アイヌ民族の歴史。
 後半は、アイヌ女性が和人に蹂躙された歴史と、北海道の遊所の話がある。この問題を取り扱った本は少ないので、北海道開拓を理解する上で参考になるだろう。
 本書は、著者の論文をまとめたようで、各章に、必ずしも統一感はなく、興味のある章を読めば良い。
  
 樺太千島交換条約の結果、樺太がロシア領となり千島が日本領となった。このとき、樺太アイヌは対雁に強制移住させられ、千島アイヌは色丹島に強制移住させられた。移住先は、彼らにとって、劣悪な環境だったため、多くの樺太アイヌ・千島アイヌが死亡した。
 本書では、このような歴史を解説し、北方領土問題に対して、アイヌ民族が無視されている点を批判している。


井上勝生/編『幕末維新論集A 開国』吉川弘文館(2001.7)

 

『幕末維新論集 全12巻』の一冊。
本書の中に、次の論文が収められている。
 
秋月俊幸/著『サハリン島における日本人とアイヌ人  一九世紀中葉のロシア人の報告から』
麓慎一/著『蝦夷地第二次直轄期のアイヌ政策』
 
秋月の論文は、ロシア人探検家などの報告を元に、幕末期におけるサハリンアイヌと日本人の関係を明らかにしている。松前支配期と幕政期ではアイヌの扱いに違いがあり、どの時期について書かれているのかによって、ロシア人の報告は異なる。松前支配期、サハリンアイヌは、日本人の暴力支配におびえる奴隷状態だったが、幕政期では、アイヌの扱いに改善がみられている。しかし、幕政期でも、アイヌが日本人を嫌い恐れる様子は変わらないようだ。
 
幕末期に、アイヌの習俗を日本人風に改める政策が実施された。日本が朝鮮半島を植民地にした時「創氏改名」が強制されたが、アイヌへの習俗改めの強制は、これに先立つものだった。麓の論文は、アイヌの習俗改めが、ロシア対策の為に行われたこと、そのため、蝦夷地の各地域において、強制の度合いが異なったことが示されている。


『北千島に眠る』編集委員会/編 「千島に眠る「太平丸事件」と朝鮮人強制連行」(2002.4)

 

 太平洋戦争末期の1944年7月、軍人・軍属ら総勢2000人余りを乗せた太平丸は、北千島・幌筵島沖で、魚雷攻撃され撃沈した。本書は、強制徴用された朝鮮人軍属の生き残りの証言を中心にこの事件の概要をまとめたもの。全体の死者数は1000人程度で、そのうち少なくとも半数は朝鮮人だった。
 生き残った朝鮮人軍属は、その後、幌筵島の飛行場建設のために、奴隷労働として使役された。当時、北千島では、食糧は豊富で、日本軍人が食糧不足だったことはなかったが、朝鮮人軍属には、満足な食料は与えられず、飢餓状態だった。
 
 本書は、事件を順を追って説明したものではなく、幾つかの解説や新聞記事の切り抜きのコピーなどをまとめたもの。総数80ページのうち、半分が日本語で半分が韓国語であり、内容は少ない。


高橋英樹/著『千島列島の植物』北海道大学出版会 (2015/3)



千島列島の植物を外来種にいたるまで網羅。植物を科ごとに分類し、学名・分布状況などが詳述されている。千島列島の植物を知る上で、最も重要な文献だろう。本書は、学術書であって一般向け啓蒙書ではないので、植物の絵図はなく、本書を理解するためには、ある程度の予備知識が必要。

本書のメインは千島列島の植物を網羅することであるが、千島列島の植生の解説も詳しい。

 千島の植生は、エトロフ島とウルップ島の間にひかれた「宮部線」が有名だった。択捉島中部・南部の低地はトドマツなどの高木林がみられるが、択捉島高地や択捉島北部以北ではハイマツなどの低木林となる。島ごとに見れば、択捉島とウルップ島で異なることになるので、宮部線は両島の間にひかれたものだった。
 ウルップ島・シムシル島を隔てるブッソル海峡は、水深2000mを超え、オホーツク海から太平洋に流出する強い海流がある。本書の植生解説によれば、ロシア人研究者バルコフ等は、1,400種あまりの維管束植物分布を詳細に検討した結果、ブッソル線に千島の主要な植生分界があることを報告した。また、バルコフ等の研究では、択捉島中南部と択捉島北部の間に植生分界が引かれている。

 政府系機関である「独立行政法人 北方領土問題対策協会」の解説には、『北方領土の島々は、北海道本島の動植物の分布と全く同じで、得撫島より北の千島列島のものとは違いがあります』と書かれている。
http://www.hoppou.go.jp/gakushu/outline/islands/island2/ (2015.5.29閲覧)
 北方領土が北千島と違うことを強調したいあまりに、明治時代の不十分な知識を振りかざすまえに、天下り官僚たちは、本書を読んで千島列島の植生を多少理解してほしいものだ。



DVD『ジョバンニの島』 (ポニーキャニオン)  

 

2014年2月、同名のタイトルの物語が出版された。
 
このDVDは、本書をアニメ化したもの。本とアニメで若干異なっているところはあるが、おおむね、同じ内容。
 
主人公は色丹島の少年で、この少年を通して、終戦前後、ソ連兵進駐、ソ連少女との交流など、この時期の色丹島の様子が分かる。
 
1時間20分程度です。


岡和田晃、マーク・ウィンチェスター編『アイヌ民族否定論に抗する』河出書房新社 (2015/1)
 
 

 ギャグマンガ家・小林よしのりが、アイヌ民族はいないなどと、おかしなことを言っていた。本書は、歴史学者・文学者・作家・精神科医師など、いろいろな分野の人により、小林よしのりのような無知を正すことを目的として執筆されている。
 有力政治家が、日本は単一民族であるような誤った発言をすることが時々あるので、アイヌ民族否定論のような誤った考えを持っている日本人は多いのかもしれない。
 
 本書は、多方面の専門家による執筆なので、内容が多方面に渡り、やや散漫な感じがする面もあるが、民族とは何か、アイヌの歴史は何か、アイヌ否定論の病根は何かなど、アイヌ問題の入門として読みやすい。
 
 榎森進氏の「歴史からみたアイヌ民族―小林よしのり氏の「アイヌ民族」否定論を批判する」は、アイヌ研究の第一人者による小林よしのり氏批判なのだけれど、小林氏の説が、あまりにも貧弱なので、せっかくの榎森氏の説が、あまり輝いていないように感じる。


相原秀起/著『知られざる日露国境を歩く』ユーラシアブックレット(2015/2)

 

 かつて、日ロの国境だった樺太の北緯50度線には、国境を示す標石が4個置かれていた。本の前半では、この標石が現在どのようになっているか、あるいは、当時置かれていた場所はどうなっているのかを取材した結果を記載している。
 4つの国境標石のうち、1号はサハリンの資料館にある。2号は根室資料館にあり、4号はサハリン在住個人が所蔵している。3号は行方不明とのことだ。
 後半では、エトロフ島と、占守島の現在の様子。
 
 60ページ余りの薄い本に、樺太・エトロフ島・占守島を記載しているので、それぞれの内容が貧弱に感じる。また、3つのテーマは日ロの国境という点で共通しているが、それ以外に共通点はないので、内容が散漫に感じる。薄い本なのだから、テーマを1つに絞ったほうが良かったと思う。


森永貴子/著 「北太平洋世界とアラスカ毛皮交易」(2014/05) 東洋書店(ユーラシアブックレット)



 本書の著者は2008年に「ロシアの拡大と毛皮交易―16〜19世紀シベリア・北太平洋の商人世界」の表題で、近世のロシア極東・アラスカ進出と毛皮交易の関係を示した単行本を出版している。本書は、同様な内容だが、ブックレットということもあり、コンパクトにまとめられている。

 ロシアの極東・アラスカ進出は、露米会社が主体となって行われた。本書では、露米会社に関連した人たちのエピソードも交えて、当時の様子を読みやすく書かれている。
 日本の北方領土問題と直接関係がある内容はないが、露米会社はロシアによる千島開発に深く関係しているので、北方領土問題理解のために、歴史の背景を知る上で参考になるだろう。露米会社について書かれた本は少ないが、その中で、本書は一番読みやすい。


北方領土関連書籍のページへ   竹島関連書籍のページへ  尖閣関連書籍のページへ

北方領土問題のページへ      竹島問題のページへ      尖閣問題のページへ