北方領土問題参考書
日ロ"勝手交流"
その後、間もなく"ビザなし"交流を額面通りに受けとり、堂々と国境を越えた"事件"があった。
朝日新聞通信部の小泉記者はこの"勝手交流"に確信犯としての行為を見ているようだ。
事件の出だしは単純だった。色丹出身のSさんは当局に無断で色丹島に自分の持ち船を走らせた。
三歳の時に島を出たSさんは墓参を通じて、色丹島のロシア人島民の有力者と知り合い、島で出来る事業を考えていた。だが、腎臓病の彼自身は定期的に人工透析に通う身で、墓参団やビザなし交流のスケジュールに合わせられない。そこで彼は息子に「あなたらといっしょに島にホテルを建てよう」とのメッセージを託して色丹島に行かせた。漁民感覚では色丹島は近い。色丹島側では何の咎めもなく漁船を帰した。根室に戻ってのち、道当局から摘発された。
確信犯かどうか、それは行政の措置如何に掛かってくる。何の規則で罰せられるかだ。
「Sさんが色丹島水域に漁をしに行ったのなら罰則・海面漁業調整規則違反が適用できる。だが、色丹島に知人に会いに行っただけだ。色丹島は本来"日本固有の領土"で外国ではない。その日本領土に行ったのだから"密出国"には該当しない」。
Sさんがそこまで読んで、事を運んだのかどうかは問題でなくなる。これにどう裁きをつけるか。
小泉記者は根室海上保安庁にも聞いた。「その海域を航行しただけではせいぜい"無通告航行"の規則無視で、軽犯罪程度にしかならない」。これは"くい違い行政"といえる。ロシア側に逮捕されれば外務省の対ロ折衝に移される。ここでは「日本は国境の線引きを本来認めていない」と身柄釈放手続きがとられる。密漁者のだ捕の場合はこれで処理し、釈放後、国内法で処置する。Sさんの所属漁協では"十日間操業停止"にするくらいが通例だった。このSさんの例は行政の盲点をついた前例のない事犯になったと小泉記者はいう。
(箭波光雄理事長がやめた理由)
それにしても、なぜ辞められたんですか?やはりヤクザ問題ですか?
「一言、日ロ島民対話集会でかれに発言させたことで議長である私は退かざるを得ない結果になりました。その人だって、暴力団かヤクザか知らんが、その前に元島民のひとりとして連盟の会員にもなっていた。私は彼がビザなし訪問団で向こうの島に行ったり、"交流会(懇親会)"に出ることは阻止したけれども、対話集会の中で、一言島のことについて訊きたいといったことについて私は許した。"島のコンブの利用の道"という誰でも考えることです。それが政争の具に供されて困ったことになった。それだけです。もう理事長は辞めたのですから何もいいません」。
私の失礼な詮索はここで終わった。あとはいいたい放題の言葉が遊んだ。数言をとどめておこう。
(アイヌ)
元島民からアイヌを北方四島の先住民として語られたことはなかった。箭波光雄氏はテレビ番組のなかでそのことを問われたが"アイヌはすでに日本人になっている"とこたえ、まともな返答になっていなかったと記憶している。(P56)
(日本帰還に対する元島民の証言)
二年たっても日本から何の連絡も来ない。食糧も送ってこない、これは困ったと思っていた頃に、ソ連から『日本に帰す、これは強制でないから残りたいものは残って良いが、しかし残るものはソ連の国籍を取れ』といわれたんです。仕方がない、とりあえず一旦は帰ろうということで、昭和二十二年の秋に、全員ソ連の船で樺太を経由して帰ってきました。(P73)
樺太アイヌ史研究会/編『対雁の碑―樺太アイヌ強制移住の歴史』北海道出版企画センター (1992/10)
樺太千島交換条約で樺太全島がロシア領になると、これまで南樺太に居住していたカラフトアイヌは国籍を選択する必要が生じた。日本国籍を取得したカラフトアイヌは樺太に滞在することができなかった。日本人は樺太に滞在しても問題なかったのだから、明らかな差別待遇だった。
日本人に雇われていた等の理由で、日本国籍をとったカラフトアイヌは、樺太に近い宗谷に移住した。しかし、日本政府は、彼等を対雁へ移住させ、農業に従事させた。しかし漁撈を生業とする彼等には、農業になじめず、さらに疫病も重なって、大きく人口を減らすことになった。
ロシア国籍を取得して樺太に止まったカラフトアイヌたちは、比較的恵まれた生活だったので(本書P233〜P237)、日露戦争で南樺太が日本に割譲されると、ほとんどすべてもカラフトアイヌたちは樺太に戻っていった。
本書は、日本に移住させられたカラフトアイヌの軌跡を追っている。カラフトアイヌについて書かれた本は少ないので、貴重な本だ。
なお、江別市対雁の「やすらぎ苑」には、カラフトアイヌの墓が立てられている。
http://cccpcamera.asablo.jp/blog/2014/10/04/7450042
椙田光明/著『北方古代文化の邂逅・カリカリウス遺跡』(2014/12)新泉社
カリカリウス遺跡は、北海道東部の標津町の伊茶仁川の流域に広がる遺跡で、ポー川史跡自然公園として整備されている。歴史民俗資料館には出土品が多数展示されており、また、竪穴式住居の復元家屋も展示されている。
本書の内容は、カリカリウス遺跡発掘のようすと遺跡の説明、および、オホーツク文化・トビニタイ文化・擦文文化の説明。
カリカリウス遺跡はオホーツク文化末期からトビニタイ文化へ至る時代のものだが、ここは、擦文文化と出会った地だった。
本書は、写真が多く、ページ数も100ページに満たないので、北海道独自の文化の概要を簡単に知るために便利。
菊池徹夫・宇田川洋/編『オホーツク海沿岸の遺跡とアイヌ文化』北海道出版企画センター(2014.7)
縄文時代の後、本州では、稲作文化を主体とした弥生文化が起こるが、北海道では続縄文文化・擦文文化・アイヌ文化と本州とは異なった文化が展開した。さらに、オホーツク海沿岸では、続縄文以降、独自のオホーツク文化が起こっている。
本書は、標津町から枝幸町にいたるオホーツク海沿岸地域の遺跡の発見・発掘・史跡としての指定の経緯を解説した後、各遺跡の詳細を記述している。モヨロ、常呂、カリカリウス周辺が記述の中心。このほかに、根室半島のチャシ群の話もある。また、根室のコタンケシ遺跡、宗谷のオンコロマナイ遺跡にも触れられているが、これらの記述は少ない。
私は、考古学そのものに特に興味があるわけではないので、内容が細かすぎて、あまり興味が持てなかった。
海保洋子/著『近代北方史 アイヌ民族と女性と』 (1992/6)三一書房
本の前半は近代アイヌ民族の歴史。
後半は、アイヌ女性が和人に蹂躙された歴史と、北海道の遊所の話がある。この問題を取り扱った本は少ないので、北海道開拓を理解する上で参考になるだろう。
本書は、著者の論文をまとめたようで、各章に、必ずしも統一感はなく、興味のある章を読めば良い。
樺太千島交換条約の結果、樺太がロシア領となり千島が日本領となった。このとき、樺太アイヌは対雁に強制移住させられ、千島アイヌは色丹島に強制移住させられた。移住先は、彼らにとって、劣悪な環境だったため、多くの樺太アイヌ・千島アイヌが死亡した。
本書では、このような歴史を解説し、北方領土問題に対して、アイヌ民族が無視されている点を批判している。
井上勝生/編『幕末維新論集A 開国』吉川弘文館(2001.7)
『幕末維新論集 全12巻』の一冊。
本書の中に、次の論文が収められている。
秋月俊幸/著『サハリン島における日本人とアイヌ人 一九世紀中葉のロシア人の報告から』
麓慎一/著『蝦夷地第二次直轄期のアイヌ政策』
秋月の論文は、ロシア人探検家などの報告を元に、幕末期におけるサハリンアイヌと日本人の関係を明らかにしている。松前支配期と幕政期ではアイヌの扱いに違いがあり、どの時期について書かれているのかによって、ロシア人の報告は異なる。松前支配期、サハリンアイヌは、日本人の暴力支配におびえる奴隷状態だったが、幕政期では、アイヌの扱いに改善がみられている。しかし、幕政期でも、アイヌが日本人を嫌い恐れる様子は変わらないようだ。
幕末期に、アイヌの習俗を日本人風に改める政策が実施された。日本が朝鮮半島を植民地にした時「創氏改名」が強制されたが、アイヌへの習俗改めの強制は、これに先立つものだった。麓の論文は、アイヌの習俗改めが、ロシア対策の為に行われたこと、そのため、蝦夷地の各地域において、強制の度合いが異なったことが示されている。
『北千島に眠る』編集委員会/編 「千島に眠る「太平丸事件」と朝鮮人強制連行」(2002.4)
太平洋戦争末期の1944年7月、軍人・軍属ら総勢2000人余りを乗せた太平丸は、北千島・幌筵島沖で、魚雷攻撃され撃沈した。本書は、強制徴用された朝鮮人軍属の生き残りの証言を中心にこの事件の概要をまとめたもの。全体の死者数は1000人程度で、そのうち少なくとも半数は朝鮮人だった。
生き残った朝鮮人軍属は、その後、幌筵島の飛行場建設のために、奴隷労働として使役された。当時、北千島では、食糧は豊富で、日本軍人が食糧不足だったことはなかったが、朝鮮人軍属には、満足な食料は与えられず、飢餓状態だった。
本書は、事件を順を追って説明したものではなく、幾つかの解説や新聞記事の切り抜きのコピーなどをまとめたもの。総数80ページのうち、半分が日本語で半分が韓国語であり、内容は少ない。
高橋英樹/著『千島列島の植物』北海道大学出版会 (2015/3)
千島列島の植物を外来種にいたるまで網羅。植物を科ごとに分類し、学名・分布状況などが詳述されている。千島列島の植物を知る上で、最も重要な文献だろう。本書は、学術書であって一般向け啓蒙書ではないので、植物の絵図はなく、本書を理解するためには、ある程度の予備知識が必要。
本書のメインは千島列島の植物を網羅することであるが、千島列島の植生の解説も詳しい。
千島の植生は、エトロフ島とウルップ島の間にひかれた「宮部線」が有名だった。択捉島中部・南部の低地はトドマツなどの高木林がみられるが、択捉島高地や択捉島北部以北ではハイマツなどの低木林となる。島ごとに見れば、択捉島とウルップ島で異なることになるので、宮部線は両島の間にひかれたものだった。
ウルップ島・シムシル島を隔てるブッソル海峡は、水深2000mを超え、オホーツク海から太平洋に流出する強い海流がある。本書の植生解説によれば、ロシア人研究者バルコフ等は、1,400種あまりの維管束植物分布を詳細に検討した結果、ブッソル線に千島の主要な植生分界があることを報告した。また、バルコフ等の研究では、択捉島中南部と択捉島北部の間に植生分界が引かれている。
政府系機関である「独立行政法人 北方領土問題対策協会」の解説には、『北方領土の島々は、北海道本島の動植物の分布と全く同じで、得撫島より北の千島列島のものとは違いがあります』と書かれている。
http://www.hoppou.go.jp/gakushu/outline/islands/island2/ (2015.5.29閲覧)
北方領土が北千島と違うことを強調したいあまりに、明治時代の不十分な知識を振りかざすまえに、天下り官僚たちは、本書を読んで千島列島の植生を多少理解してほしいものだ。
DVD『ジョバンニの島』 (ポニーキャニオン)
2014年2月、同名のタイトルの物語が出版された。
このDVDは、本書をアニメ化したもの。本とアニメで若干異なっているところはあるが、おおむね、同じ内容。
主人公は色丹島の少年で、この少年を通して、終戦前後、ソ連兵進駐、ソ連少女との交流など、この時期の色丹島の様子が分かる。
1時間20分程度です。
岡和田晃、マーク・ウィンチェスター編『アイヌ民族否定論に抗する』河出書房新社 (2015/1)
ギャグマンガ家・小林よしのりが、アイヌ民族はいないなどと、おかしなことを言っていた。本書は、歴史学者・文学者・作家・精神科医師など、いろいろな分野の人により、小林よしのりのような無知を正すことを目的として執筆されている。
有力政治家が、日本は単一民族であるような誤った発言をすることが時々あるので、アイヌ民族否定論のような誤った考えを持っている日本人は多いのかもしれない。
本書は、多方面の専門家による執筆なので、内容が多方面に渡り、やや散漫な感じがする面もあるが、民族とは何か、アイヌの歴史は何か、アイヌ否定論の病根は何かなど、アイヌ問題の入門として読みやすい。
榎森進氏の「歴史からみたアイヌ民族―小林よしのり氏の「アイヌ民族」否定論を批判する」は、アイヌ研究の第一人者による小林よしのり氏批判なのだけれど、小林氏の説が、あまりにも貧弱なので、せっかくの榎森氏の説が、あまり輝いていないように感じる。
相原秀起/著『知られざる日露国境を歩く』ユーラシアブックレット(2015/2)
かつて、日ロの国境だった樺太の北緯50度線には、国境を示す標石が4個置かれていた。本の前半では、この標石が現在どのようになっているか、あるいは、当時置かれていた場所はどうなっているのかを取材した結果を記載している。
4つの国境標石のうち、1号はサハリンの資料館にある。2号は根室資料館にあり、4号はサハリン在住個人が所蔵している。3号は行方不明とのことだ。
後半では、エトロフ島と、占守島の現在の様子。
60ページ余りの薄い本に、樺太・エトロフ島・占守島を記載しているので、それぞれの内容が貧弱に感じる。また、3つのテーマは日ロの国境という点で共通しているが、それ以外に共通点はないので、内容が散漫に感じる。薄い本なのだから、テーマを1つに絞ったほうが良かったと思う。
森永貴子/著 「北太平洋世界とアラスカ毛皮交易」(2014/05) 東洋書店(ユーラシアブックレット)
本書の著者は2008年に「ロシアの拡大と毛皮交易―16〜19世紀シベリア・北太平洋の商人世界」の表題で、近世のロシア極東・アラスカ進出と毛皮交易の関係を示した単行本を出版している。本書は、同様な内容だが、ブックレットということもあり、コンパクトにまとめられている。
ロシアの極東・アラスカ進出は、露米会社が主体となって行われた。本書では、露米会社に関連した人たちのエピソードも交えて、当時の様子を読みやすく書かれている。
日本の北方領土問題と直接関係がある内容はないが、露米会社はロシアによる千島開発に深く関係しているので、北方領土問題理解のために、歴史の背景を知る上で参考になるだろう。露米会社について書かれた本は少ないが、その中で、本書は一番読みやすい。