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三浦梧楼(みうらごろう)の墓

 閔妃暗殺

 墓所:東京都港区南青山二丁目 青山霊園 1種イ5号15〜16 

 日清戦争で勝利した日本は、朝鮮への内政介入を強めてゆく。これに対抗して、朝鮮はロシアの影響力を利用して日本を排除しようとした。日本公使三浦梧楼らは、親ロシア派の中心と目した王后(閔妃)殺害を計画し、日本軍守備隊、日本警察官、訓練隊(日本軍将校に指導された朝鮮軍隊)、日本人新聞記者、日本人壮士らを動員し、王后殺害を実行した。三浦梧楼以下暗殺集団は殺害した王后を裸にして女性器を検査し、最後に油を注ぎ焼き殺した。
 三浦公使対面に国王・大院君(国王の父)が臨席し、親露派閣僚を解任して内閣を親日派でかためた。
 しかし、王后殺害は列強に広く知れ渡ることとなり、国際的な非難を浴びたため、日本は三浦公使以下殺人関係者を召喚し裁判にかけたが、全員証拠不十分として無罪放免した。
 王后を殺害され、自身や息子の生命の危機を感じた国王は、その後、息子を連れてロシア公館に逃れた。その結果、王后殺害で成立させた親日政権は崩壊して、親ロ政権が誕生した。
 三浦梧楼らは、国王高宗の正妻である王后を殺害したのであるが、三浦梧楼は、殺害後、正妻の地位を剥奪し、妾として扱ったため、日本では王の妾を表す「妃」として「閔妃」の名前が定着した。 

墓所 三浦梧楼の墓 墓石裏面
三浦梧楼夫妻の名が刻まれている
三浦家之墓

 三浦梧楼による王后殺害事件は、ノンフィクション小説『角田房子/著 閲妃暗殺(1988)新潮社』で有名になった。しかし、それ以前から百科辞典をはじめ関連する事典類には掲載され、日本史教科書にも取り上げられることが多かったので、ある程度の日本史知識のある者には、小説以前からよく知られたことだった。
 ところが、今から10年ほど前のことだろうか、一部のネット右翼の書き込みで「日本人は殺害に関与していない」等の言説が見られたため、ネットや漫画しか見ることのない人の中には、三浦公使が実行の主犯であるとの定説を理解できない人も多いようだ。
 閔妃暗殺事件は中学校では習わないことが多いため、ネットや漫画しか見るこがなく読書や辞書調べができない人の中には、正しい理解ができない人が多いかもしれない。それで幾つかの歴史辞書などの記述を掲載した。
  http://nippon.nation.jp/Takeshima/ETC/Binhi.html
 
 また、大学入試にも出題されていることを示した。
  http://nippon.nation.jp/Takeshima/ETC/BinhiNyuushi.htm
 1895年なので「イワク、ゴロウが閔妃暗殺」と覚えると良い。梧楼はどちらも木偏であることに注意。

最終更新 2019.7


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