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小花作助(おばなさくすけ)の墓
旗本。小笠原島開拓
墓所:東京都台東区谷中7丁目2 谷中霊園 乙3号3側8
幕府は文久元年(1861年)外国奉行・水野忠徳ら約90名を咸臨丸で小笠原諸島に派遣し、外国人移住者たちに小笠原が日本の属島であることを宣言した。一行にはジョン万次郎が通訳として加わっていた。小花作助は現地監督官として一年半にわたり現地にとどまり、小笠原支配にあたった。
明治維新後は新政府に仕え、明治8年には小笠原島を再調査し、明治9年には内務省小笠原島出張所の初代所長として、3か月間現地にて小笠原統治の任に当たった。
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墓地 | 東京都教育委員会の看板 |
最終更新 2019.7
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