最終更新 2017.12
大型銭
左:2倍に通用した元祐通宝。直径30mm、8.25g。
右:普通の元祐通宝。直径24mm、4.59g。
写真左のように、2倍以上に通用した大型貨幣があった。日本にも渡来しているけれど、通用していない。
写真右は、普通の元祐通宝で、渡来銭として、鎌倉・室町時代に使われている。
鎌倉・室町期には、大きいものや小さいものは、嫌われた。
北方経由の渡来
稚内のオホーツク文化の遺跡(オンコロマナイ貝塚)から、「煕寧重宝」が出土している。写真は「煕寧重宝」。出土品とは別物です。煕寧重宝には写真のように篆書体(左)と真書体(右)がある。
日本の渡来銭では、「煕寧元宝」は非常に多いけれど、「煕寧重宝」はめったにない。函館・志海苔遺跡では37万枚の渡来銭が出土したが、この中で「煕寧元宝」は3万5千枚あったのに、「煕寧重宝」はわずかに12枚だった。日本の中世では「煕寧重宝」のような大型銭は嫌われ、流通していない。
日本の渡来銭には珍しい「煕寧重宝」がオンコロマナイ貝塚から出土しているのは、これが日本経由ではなく、女真文化からサハリンを経由して持ち込まれたことを強く示唆している。
また、網走のオホーツク文化の遺跡・モヨロ貝塚からは「景祐元宝」が出土しているが、これも、北方経由でもたらされた可能性がある。
このように、日本人が道東・道北に進出する以前に、北方民族の大陸との交易が行われていたことは、発掘渡来銭からも推測できることである。
参考文献:
『北東アジア古代文化の研究 』菊池俊彦/著 北海道大学図書刊行会 (1999/07)
『オホーツクの古代史』菊池俊彦/著 (平凡社新書)
左写真が、オンコロマナイ遺跡出土の「煕寧重宝」。稚内市・北方記念館(開基百年記念塔)に展示されている。
穴が丸くなっているのはなぜだろう。紐を通してアクセサリーにしたのだろうか。
注)モヨロ貝塚出土の「景祐元宝」は『オホーツクの古代史(平凡社新書)P151』など、いくつかの本に写真が掲載されている。2015年にモヨロ貝塚館・網走市立博物館を見学したが、どちらにも展示されていなかった。写真によると、オンコロマナイ遺跡出土の「煕寧重宝」同様に、穴が丸くなっている。
常呂遺跡出土の永楽通宝
常呂遺跡出土の「永楽通宝」。東京大学・常呂資料陳列館に展示されている。
永楽通宝は明銭の代表だが、中国での出土は少ない。日本で鋳造された可能性もある。この銭は常呂へ北方経由で渡来したものなのか、日本経由で渡来したものなのか。
根室 コタンケシ遺跡出土の渡来銭
上の写真は、根室市にあるアイヌの墓「コタンケシ遺跡」から出土した渡来銭。左から「開元通宝(唐銭)」「皇宋通宝・篆書体(宋銭)」「皇宋通宝・楷書体(宋銭)」「洪武通宝(明銭)」。根室市花咲の資料館に展示されている。
これらの銭貨は日本経由で伝わったのか、樺太・千島経由で伝わったのか、分からない。
オホーツク海北岸のスレードニア湾遺跡からも、「皇宋通宝・篆書体(宋銭)」が出土している。(出典:菊池俊彦/著 オホーツクの古代史 平凡社新書 P149〜152)
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