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井上清直(いのうえきよなお)(井上信濃守)の墓

 安政五カ国条約調印

 墓所:東京都新宿区榎町57 一樹山・宗柏寺


下田奉行時代に目付・岩瀬忠震とともに、タウンゼント・ハリスと、日米修好通商条約交渉を行い調印する。
ロシア・イギリス・フランスとも同様の修好通商条約に調印している。

井上清直の墓所は本堂右側にある墓地に入って奥に進むと右側すぐの所でゴミ焼却炉の隣。

墓石
井上清直之墓
墓石側面に戒名:
修誠院殿高山日信大居士
墓石正面右上:
幕府外国奉行信濃守

宗柏寺山門 宗柏寺本堂 本堂右側の墓所に入る
すぐに平将門の碑がある
平将門の碑の先を右に曲がる
ゴミ焼却炉の先に井上清直の墓



注)安政五カ国条約
 安政3年8月(1856年9月)に下田に着任したハリスは、通商に後ろ向きな幕府側に対し、貿易による利益を説いて交渉を続けた結果、安政5年6月19日(1858年7月29日)、合衆国軍艦ポーハタン号上で、日米修好通商条約并税則が締結された。日米修好通商条約は全14条で、下田と箱館のほか期限付きで神奈川・長崎・新潟・兵庫を開港し、江戸・大坂を開市することや、関税・領事裁判権等が定められている。
 その後、年内に、同様な条約がロシア・イギリス・フランス・オランダともに締結された。これらの条約の署名者は「永井玄蕃頭」ほか「井上信濃守」「堀織部正」「岩瀬肥後守」「津田半三郎」など。
 安政6年(1859)には、五ヶ国条約の日本語の条文『五ヶ国条約并税則』が刊行された。全五冊で古書店等で見かけることもある。

安政五カ国条約と日葡条約の調印者は次のようになっている。

日米:井上信濃守清直岩瀬肥後守忠震
    タウセンド、ハルリス
日蘭:永井玄蕃頭尚志岡部駿河守長常、岩瀬肥後守忠震
    ヤン、ヘンデリッド、ドンフルキユルシウス
日露:永井玄蕃頭尚志、井上信濃守清直、堀織部正利煕、岩瀬肥後守忠震、津田半三郎  
    グラフ、井ーミー、ブウチヤチン
日英:エルギン、エンド、キンカルデ子
    水野筑後守忠徳、永井玄蕃頭尚志、井上信濃守清直、堀織部正利煕、岩瀬肥後守忠震、津田半三郎  
日仏:水野筑後守忠徳、永井玄蕃頭尚志、井上信濃守清直、堀織部正利煕、岩瀬肥後守忠震、野々山鉦蔵
    バロン、グロス
日葡:溝口讃岐守直清、酒井隠岐守忠行、松平次郎兵衛
    キュマレイス

参考)http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/787948/285

日露修好通商条約はこちら
http://www.ne.jp/asahi/cccp/camera/HoppouRyoudo/HoppouShiryou/18580807J1.htm

最終更新 2019.6


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