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永井尚志(ながいなおゆき)の墓 永井玄蕃頭
旗本。外国奉行時代に、ロシア・イギリス・フランス・オランダとの通商条約(安政五カ国条約)に調印する。
墓所:東京都荒川区西日暮里三丁目1番3号 本行寺
永井尚志は「ながいなおゆき」「ながいなおむね」と言われる。
安政元年、長崎海軍伝習所総監に着任し、長崎製鉄所の創設に着手した。長崎製鉄所は艦船の修理工場として機能し、明治維新後には三菱重工長崎造船所へと発展している。
安政5年、岩瀬忠震・井上清直らとともに、初代外国奉行に任ぜられ、日露・日仏・日英・日蘭修好通商条約(いわゆる安政五カ国条約)を締結した。
大政奉還後、蝦夷共和国の箱館奉行となるも、新政府軍に降伏。特赦により出獄後は、開拓使御用係・元老院権大書記官などを務める。
三島由紀夫は永井尚志の玄孫にあたる。
日蓮宗長久山本行寺は日暮里駅からすぐのところにある。
本堂裏側が墓地になっているが、永井尚志の墓は、墓地の一番奥の左側。墓所は、東京都指定旧跡になっており、東京都教育委員会の看板が建てられている。
墓所は周辺に比べ広い | 東京都教育委員会の看板 |
墓石 戒名は崇文院殿介堂月影大居士 |
墓石側面には漢文がびっしり |
本行寺
本行寺本堂 | 本行寺山門 |
注)安政五カ国条約
安政3年8月(1856年9月)に下田に着任したハリスは、通商に後ろ向きな幕府側に対し、貿易による利益を説いて交渉を続けた結果、安政5年6月19日(1858年7月29日)、合衆国軍艦ポーハタン号上で、日米修好通商条約并税則が締結された。日米修好通商条約は全14条で、下田と箱館のほか期限付きで神奈川・長崎・新潟・兵庫を開港し、江戸・大坂を開市することや、関税・領事裁判権等が定められている。
その後、年内に、同様な条約がロシア・イギリス・フランス・オランダともに締結された。これらの条約の署名者は「永井玄蕃頭」ほか「井上信濃守」「堀織部正」「岩瀬肥後守」「津田半三郎」など。
安政6年(1859)には、五ヶ国条約の日本語の条文『五ヶ国条約并税則』が刊行された。全五冊で古書店等で見かけることもある。
安政五カ国条約と日葡条約の調印者は次のようになっている。
日米:井上信濃守清直、岩瀬肥後守忠震
タウセンド、ハルリス
日蘭:永井玄蕃頭尚志、岡部駿河守長常、岩瀬肥後守忠震
ヤン、ヘンデリッド、ドンフルキユルシウス
日露:永井玄蕃頭尚志、井上信濃守清直、堀織部正利煕、岩瀬肥後守忠震、津田半三郎
グラフ、井ーミー、ブウチヤチン
日英:エルギン、エンド、キンカルデ子
水野筑後守忠徳、永井玄蕃頭尚志、井上信濃守清直、堀織部正利煕、岩瀬肥後守忠震、津田半三郎
日仏:水野筑後守忠徳、永井玄蕃頭尚志、井上信濃守清直、堀織部正利煕、岩瀬肥後守忠震、野々山鉦蔵
バロン、グロス
日葡:溝口讃岐守直清、酒井隠岐守忠行、松平次郎兵衛
キュマレイス
参考)http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/787948/285
日露修好通商条約はこちら
http://www.ne.jp/asahi/cccp/camera/HoppouRyoudo/HoppouShiryou/18580807J1.htm
最終更新 2019.6
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